チートスキルで肉の魔術師

 それを考え始めたのは、YouTubeの料理王国チャンネルでの動画「加熱の原点。内外均一の温度で火入れが出来る超アナログな手法【100分焼き】|La Biographie…滝本 将博シェフ」を見てからでした。

実際は月額いくらかを払うと「料理王国プレミアムメンバー」として「完全版」を見ることができるので、それを見たのですが…
これは「肉に火入れを気付かせない」ような、つまり「火入れの魔術師アラン・パッサール的な火入れ」をグリルで実現させるという料理法です。

滝本シェフの100分焼きステーキ

 京都の名店「ラ・ビオグラフィ」の滝本 将博シェフは、この動画の中で350〜360gの和牛サーロインを各面5分づつ✕計6面を90〜95℃という超低温のグリルでフリップしながら合計30分を1セットとして、これを3セット=合計90分繰り返します。
そして最後に60℃のグリルで10分間休ませ、合計100分間かけてステーキを焼いていきます。まさに素材に、火が入っていることを気付かせない、気の遠くなるような極限に優しい火入れです。

フリップステーキの行き着く先

140℃で各面30秒づつフリップさせたステーキ

ではこの滝本シェフ的な火入れを、普通の家でやってみるとどうなるか?は、以前の実験で結果がすでに見えています。

140℃でフリップステーキを焼いた場合の中心温度上昇曲線

一辺が4cm角のサイコロ型に肉をカットして、フライパンの表面温度=140℃、1面3分ぐらいで6面を焼いていく「FLIPステーキ」をやってみると、なんと回数を重ねるごとに芯温の上昇速度が減速し、最後は何回フリップしても芯温はある一定の温度以上には上がらないという不思議な現象が。
これは熱力学的な言い方をすれば、フライパンから与えられて肉の中心に向かおうとする熱量(熱流束)と、肉から空気中に逃げていこうとする熱量が均衡している状態になる、ということ。
中学校か高校で勉強した、いわゆる「フーリエの法則」ですね。

この実験の過程で、フライパンの表面温度を120℃まで下げてフリップすると、通常の室温では、どんなに頑張ってもレアの芯温=54℃にすら到達しなくなるという結果が出ています。滝本シェフのように90〜95℃なんて低温は、とんでもない話です。普通のフライパンでそんな温度で焼いたら芯温は40℃に達するかどうか…

巨大なグリルでもないと滝本シェフの真似はできない

 つまりどんなに頑張っても、厨房用の巨大グリルでもない限り、肉の周りの大気に熱を奪われて、例えばミディアム・レアの芯温上限温度付近=58〜60℃には到達しないということです。

それに考えても見てください。「100分」ですよ。おうちで作るのも、いやワンオペの小さなレストランでも正直しんどい料理です。
まあ、そのしんどい作業を実直にやるから滝本シェフはすごいわけですが…

チートな「肉に気付かせない火入れ」

 でも、もしアラン・パッサール的な「肉に気付かせない火入れ」というのが、できるだけ低温で火入れをすると言う意味であれば、一つだけこれを簡単にできる「チートな方法」があります。

そもそも肉を取り巻く外気温が低いから熱が逃げるわけで、外気温が高ければフライパンの表面温度が90℃だろうと80℃だろうと芯温を思いのままに上げることができるはず。その方法とは至って単純。

フライパンのふたをして低温で焼く

です。
実際、先端的なレストランでは小さなココットにポーションサイズの肉を入れて、220℃ぐらいのオーブンに数分入れ、外に出して数分休めて、を繰り返すアラン・パッサール派?な人たちもいます。
これも「高温→室温」を小刻みに繰り返すことによって、ココットの中の密閉空間を「熱が逃げないけど低温」という状態に維持しているわけで、「ふたをして一定の低温で加熱できるフライパン」と同じ理屈です。

実験の目標設定

 さて今回の実験の目標を設定します。
(1)できるだけ低温で、だけどあまり時間をかけないで、チート的に「肉の魔術師」になりたい
(2)焼き加減はミディアム・レア上限あたり=芯温が58〜60℃
(3)肉はポーションサイズの3.5cm厚(約70g〜120g)

じゃあ、これを実現するためにフライパンの表面温度を何℃で何分づつフリップして焼けば良いの?という話ですが、こんな時に便利なお助けサイトがあります。

MITのCook My Meat
MIT(マサチューセッツ工科大学)の「Cook My Meat」

MITのCook My Meat

このサイトは、

肉の種類
肉の厚さ
加熱前の肉の温度


を入力して、何℃で何分焼くと、肉内部のタンパク質の変性具合(つまりはレアとかミディアム・レアとか、いわゆる焼き加減)と肉の温度分布をビジュアル化して予測してくれます。加熱面がSide1Side2しかないので、厳密には6面すべてを焼くフリップステーキには当てはまらないのですが、それなりに目安にはなります。

Side1がフライパンに接する面の温度、Side2が焼いていない面の温度とすれば、Side1は当然フライパンの表面温度、Side2は室温か、せいぜいプラスアルファぐらいの温度を入れて、フリップする回数だけ加算していけば、焼き上がりの肉の状態が自動的に算出されます。
では、ふたをしたフライパンの場合はSide2を何℃に設定すれば良いのか?

85℃で4分間✕6面フリップ

(1)実際のふたをした小さなフライパンの中の気温は、フライパンの表面温度にそれなりに近い温度まで上がっているかもしれない。
(2)だけどフライパンの表面と違い、温かい気体が接している場合の低い熱伝導率を考えると、その分を差し引いた温度に換算すべきなのではないか?

などと1週間ほど考えていったん出した結果がこちら。

85℃で4分間✕6面

肉の厚さ=3cm 加熱前の肉の温度=20℃として、

85℃で4分間✕6面=合計24分

肉を焼く面(Side1)は当然85℃、焼いていない面は50℃と設定してみると結論は、仕上がりでの芯温=59.7℃。
でも本当に使う肉の厚さは3.5cm、59.7℃よりは低くなるはず。今度は肉の厚さを4cmでシミュレーションしてみると同じ焼き方で芯温=48.6℃と3cm厚で設定した場合より10℃以上も下がってしまいます。
3cmと4cmの中間値を取ると53.1℃ぐらいになってしまいますが、一方で2面焼くよりも6面フリップの方が遥かに火が入る時間は短縮されます。ということで、まずはこれでやってみようかと。

ちなみに今回の設定では、薄いピンクのところがミディアム(60〜70℃)、濃いピンクのところがミディアム・レア(55〜60℃)なので、大半がミディアムになるけれど、加熱温度=85℃なので、ウェルダン(70〜120℃)の部分はそれなりに薄くなります。
と予測はこのぐらいにして、早速焼いてみましょう!

85℃ステーキのレシピ

牛ランプ肉 95g

今回はランプ肉を使います。ポーションサイズのステーキなので3.5cm厚で重量95gのランプ肉を用意しました。これに重量比0.8%の塩を使います。

室温で1時間 芯温=20℃に

冷蔵庫から出したばかりのランプ肉の芯温=6.3℃でした。ここから室温に1時間置きます。
「前塩」がお好きな方は、重量比0.8%の塩をここで打ちます。前塩をするべきか否かについては賛否両論ですが、ちなみに私も前塩が好きです。

この時の室温は25℃。1時間置いた肉の芯温は19.5℃まで上がっています。「Cook My Meat」でのシミュレーションが、加熱開始温度=20℃だったので、できる限り20℃になるようにしましょう。肉を正確な温度で焼く時に加熱開始時の芯温はとても重要なファクターです。

ふたをして85℃ 4分/面

肉の芯温=20℃になったら加熱スタート。動画で見た滝本シェフに習い、表面温度=85℃になったフライパンに、肉の一番小さい面を置き、焼き始めます。
滝本シェフによれば、これは肉の変形を一番少なくするためのテクニックだそう。強い火を入れないのと同じように、最も肉の変形が少ない焼き方をするというのも「肉に気付かれない火入れ」の大切な要素なのかもしれません。

肉をフライパンに置いたら、当然すぐふたをします。この状態で1面4分間加熱します。

肉を焼く順番

4分間焼いたら反対の面を焼く

4分間焼いたら、次は反対の面をまた4分間焼きます。もちろんふたをかけて。

肉を焼く面の順番は、

一番小さい面を焼く→
反対の面を焼く→
次に小さい面を焼く→
反対の面を焼く→
一番大きい面を焼く→
反対の面を焼く

の順番です。

焼目はまったくない

 こうやって6面焼き上げるとこんな感じに。85℃ 4分/面なので、当然 焼目はまったくありません。焼目を付けたい方は、この後190〜200℃ぐらいの高温で表面を短時間焼いてください。少量の油を使うと焼目が付きやすくなります。
まったく焼目のないステーキって、これまであまりお目にかかったことがないのですが、食べてみると、個人的には別にステーキに焼目がなくてもいいかな?と思い始めてしまう今日このごろ。
あのメイラード反応は、何か「肉を豪快に焼いたぜ!」的な「雰囲気もの」だったのかもしれません、少なくとも自分にとっては…

いずれにせよ焼き上がったらアルミホイルに包み10分ぐらい休ませます。

なんと芯温=54.3℃

 ありゃりゃ、焼き上がり直後の芯温はなんと54.3℃。レア下限ぎりぎりの温度です。

アルミホイルで包んで約3分。最高到達芯温=54.7℃。これは失敗したかなあ…

と思いきや、切ってみると予想外に火が通っている…。普通の感覚では芯温がこれだと、けっこう「血まみれな仕上がり」を想像していたのですが。
やっぱり85℃という低温で焼いているので、温度勾配が小さいこともあるのでしょう。けっこうミディアム・レア感が強い仕上がりに。実際に食べてみても、まさにレアとミディアム・レアの中間ぐらいのイメージです。

85℃ 4分15秒/面

次は加熱時間/面を15秒増やしてみます。15秒とは言え、6面焼くと合計1分30秒。それなりに芯温は変わるはずです。
まずは4分15秒づつ6面を焼いてみると…

なんと焼き上がりの温度は58.4℃。そしてアルミホイルに包んで休ませると5分後には62.8℃まで上昇。写真で見ると分かりづらいのですが、今度はちょっと火が入り過ぎです。
う〜ん。「チート」なんて言っていましたが、これはけっこう神経を使いますねえ…

62.8℃ー54.7℃=8.1℃
8.1℃÷15秒=0.54℃

つまり平均すると1秒✕6面=6秒で芯温が0.54℃変わるということ。
もし加熱時間と芯温が直線的に比例するとすれば、芯温=58℃にするなら、「1面あたり4分06秒で焼く」のが正解となるのですが…
そんなにシビアな温度管理だったのか?と先行きに不安を感じます。
でも科学の基本は「実験結果に常に忠実であること」と己の心を奮い立たせ、次は4分06秒/面で焼いてみましょう。

85℃ 4分10秒/面

「科学の基本は実験結果に常に忠実であること」などと、偉そうなことを言いましたが、今回は肉の重量=102gもあったので、ビビって、思わず85℃ ・4分10秒/面で焼いてしまいました。
その結果は…
アルミホイルに包んで4分30秒後には、なんと最高芯温=58.7℃。
わずか3回で正解が出てしまいました!
58〜60℃の中間点59℃に誤差わずかマイナス0.3℃です。

チートスキル FLIPステーキの予測近似式

 その後も加熱温度は85℃のまま、肉の重量を変えて実験を繰り返しました。その結果は以下のとおりです。
【実験結果の一覧】

肉の重量加熱初期芯温加熱時間/面最終芯温
122g20.0℃4分16秒58.6℃
113g20.0℃4分14秒58.8℃
102g20.2℃4分10秒58.7℃
95g19.5℃4分00秒54.7℃
90g20.5℃4分15秒62.8℃
82g20.3℃4分05秒58.5℃
70g19.8℃4分00秒58.8℃

さて、ここからデータを整理してこの7回だけの試行で分析をしてみると意外な結果が…

芯温=59℃の予測近似式

縦軸に加熱時間/面、横軸に肉の重量をとって試行の散布図を作りました。緑色の丸は目標の芯温=59℃にほぼ近く、成功したデータ。青色は芯温が58℃に到達しなかったもの、赤色は60℃以上で火が入り過ぎたものです。
そしてこの結果を重回帰分析してみると…

t(加熱時間/面)= 220.1 + 0.302W(肉の重量)

という、めちゃくちゃ単純な一次関数の近似式が導き出されるのです。
つまり「これから焼く肉の重さ(グラム)✕ 0.302 + 220.1」を電卓で弾けば、1面当たりの加熱時間が「秒」で分かるというわけ。

本当は非常に複雑な「非定常の3次元熱伝導方程式」なるものを解かなければいけないはずなのですが、目標芯温=59℃、加熱温度=85℃で6面均等フリップ、加熱開始時の芯温=ほぼ20.0℃、と条件を固定してしまったので、至って簡単な式で近似できてしまうということなんですね。
以下の表が、フライパンにふたをして85℃で加熱した場合の肉の重さと加熱時間のチート的早見表です。
【目標芯温=59℃の加熱時間早見表(加熱開始時芯温=20.0℃)】

肉の重量加熱時間/面
120g4分16秒
110g4分13秒
100g4分10秒
90g4分07秒
80g4分04秒
70g4分01秒


ただの「3秒刻み/10g」です。重量が10g減ると加熱時間/面を3秒減らせばよいだけ。
これって少なくともReproがあれば、誰でも芯温=59.0℃±0.5℃ぐらいの誤差でポーションサイズのステーキが焼けてしまうということですが、当然ながらこれには「制約条件」がありますが。

【条件1】最短辺3.5cm以上のサイコロ型に近い直方体であること。

 今回の実験について、「単純に厚さ3.5cmの立方体に近い直方体」と言いましたが、例えば100gの肉だと、だいたいこのぐらいのかたまりになります。これはOK。近似式が使えます。

もし厚さ=1cmにすると、100gの肉はこんな薄い形になります。これは近似式が使えません。つまり厚さ=3.5cmというより、最も短い辺が3.5cm以上あることが、今回のチートスキルが発動できる条件です。

火の入りやすさは、主に「表面積の違い」に影響されます。焼く面積が大きければ大きいほど火は入りやすくなります。
最初のサイコロ型の表面積=約123cm²なのに対し薄い肉の表面積=約219cm²と表面積が2倍近く違います。なので薄い肉を同じように焼くと当然ながら火が入り過ぎになります。
(ちなみに一番表面積が小さくなる形は「立方体(サイコロ型)」です)

さらに中心までの距離も重要です。

  • 厚さ35mm:表面から中心まで17.5mm
  • 厚さ10mm:表面から中心まで5mm

熱が芯まで到達する代表時間は、おおむね距離の二乗に比例します。なので薄い肉は厚い肉より芯に火が入りやすくなります。

そしてもう一つ、「立方体に近い直方体」でないといけない決定的な理由があります。

【条件2】フリップした時にすべての面で自立できない肉はNG

当たり前ですが ふたをして6面すべての面をフリップして焼いていくので、倒れそうになってもヘルプできません。なので安定して自立できない薄っぺらい肉とか、細長い肉はこの焼き方がそもそもできません。
物理的にも「立方体(サイコロ型)に近い直方体」であることが必須になります。なので、あまり傾斜のかかった面がある肉も、形状によっては倒れてしまうのでNGです。

【条件3】直径20cmで、ふたの密閉度が高いフライパンで焼く

今回使用した器具は以下のとおりです。

フライパン⋯SCANPAN CTX20cm
ふた⋯SCANPAN Classic20cm

当然もっと直径の大きなフライパンにすれば密閉空間が大きくなり温度も下がりがちになります。ふたがきちんと閉じない場合も隙間から温かい空気が逃げてしまいます。
なので、今回の近似式は適用できなくなります。
直径20cmでふたの密閉度がそれなりにあるフライパンとふたのセットをご使用ください。

【条件4】芯温を20.0℃まで戻す

 もし、ここまでこのコラムを読まれて、このやり方を試してみようかな?と少しでも思われたなら、いさぎよく正確な芯温計を買いましょう。加熱開始時の芯温は温度管理にとても影響します。

「室温で1時間戻す」

なんて、あいまいな言い方はもうやめにして、「肉の芯温が20.0℃になったら焼き始める」と決めましょう。

【条件5】アルミホイルで包み十分な休ませ時間を

 焼き上がったらアルミホイルに包み十分な休ませ時間を取ります。仮に数分で最高芯温に達し、その後は温度がじわじわと下がるにしても10分ぐらいの休ませ時間を取ることは仕上がりに大きな意味があります。
ステーキの仕上がりを決めるのは「最高芯温」だけでなく、「どれだけの時間その温度帯を保持していたか」も重要です。できるだけ保温性を高めた休ませ時間を十分に取れば、肉内部の温度勾配はより均質化されてタンパク質の熱変性も均一に促進します。

まとめ

 ここまで長いコラムに辛抱強くお付き合いいただきありがとうございました。でも、あなたがReproをお持ちだったら、その我慢は十分に意味があったと思います。
普段、ステーキ屋や鉄板焼に行って「ミディアム・レアで」とか「ミディアムで」とか気軽に注文したりしますが、それを客の注文通りに火入れできるのはプロの熟練の技でしかないわけです。いや、プロだって狙った芯温にプラス・マイナス1℃ぐらいの精度で火を入れるのは本当は至難の技です。
実際「これ本当にミディアム・レアって言うのかなあ…」というステーキがお店で出て来た経験も少なくないのでは?
それがある一定の条件さえクリアすれば、誰でもプラス・マイナス0.5℃ぐらいの精度で狙った火入れを実現できるチートスキルがあったのですから。

この実験結果は「チートスキルな85℃ステーキ」というReproレシピで公開しました。


このレシピは肉の重量が100gの場合のレシピです。焼きたい肉の重量に応じて、早見表や電卓を叩いて、加熱時間を変更して使ってみてください。

メルマガ購読


Reproに関する最新情報をいち早く知れるほか、Reproキッチンコラムのホットな記事もお届けいたします。ぜひご登録ください。