原始の本能
それにしても男の人って、なんで肉を焼きたがるんだろう…
他の料理は何も作らないし、夕食の支度を手伝おうともしないのに「肉を焼く」となると、がぜん奉行化する。何か「原始の本能」みたいなものが呼び覚まされるのだろうか。
本能に目覚めたのは半年前
私のパートナーがこの本能に目覚めたのは半年前だった。どこか知人の家でそれを知ったみたいで、数日後には家に荷物が届いていた。中から出てきたのは、なんだか黒くてスタイリッシュな箱。これって何?
「Repro。」
「だからReproって何?」
「まあ、すごい卓上IHコンロかな。」
はあ? 彼によると温度を一定に保つことができ、1℃刻みで温度制御ができるとかなんとか…
そして彼は、これを使ってリビングでステーキを焼くという。
「ちょっと、そんなことやめてよ。部屋の中が脂だらけになるじゃない。」
「大丈夫だって。ホント静かに焼けるからオイルミストの心配なんてないって。」
初めてリビングでステーキを焼いた日
彼いわく140℃でステーキを焼けば、オイルミストはもちろん油ハネもほとんどないらしい。あまりその言葉を信頼してはいなかったが…
初めてダイニングテーブルでステーキを焼いた日のことは今も覚えている。
彼は1時間常温に戻した厚さ3.5cmもある肉のかたまりを何かに捧げるかのように静々とフライパンに置いた。
シュ〜という肉が焼けるかすかな音。ほとんど140℃から動かなかったLEDパネルの温度表示が肉を置いたとたんに135℃に下がる。それと同時に隣の火力インジケーターがはね上がり、フルスロットルになったことを示している。
そして温度表示はすぐにまた140℃に戻り始める。それにつれて火力インジケーターも次第に弱火になっていき、140℃に戻った頃には肉が焼ける音はほとんど聞こえないほど静けさが戻る。
固唾をのんで見守っていた私は、フレンチの巨匠か誰かが言っていた「肉を焼く時は音を聞け」という言葉をふと思い出した。
あれってこういうことだったんだ…
自分でやれって言われてもできないけど。
月に1回の恒例行事
ステーキが完成するまでに彼がReproのボタンに触れたのは、スタート時と肉を置いた時の2回だけ。後はピッと音がしたら肉を裏返すだけ。片面6分ずつ焼けば完成だ。
「本当はもっと短いインターバルで6面を均等に焼いていく方が美味しくできるんだけど、このやり方ならワインを飲みながらでも簡単にステーキが焼けるからさ。」
確かに。そして十分に美味しい。オリーブやチーズをかじりながらワインを飲み、肉が焼けるのを待つ。肉が焼け始めると部屋中に牛脂の甘い香りが広がり、いやでも食欲をそそられる。
ステーキが完成するまでの12分間。おあずけを食った犬みたいな気持ちにもなるけど、たまらなく幸せな時間でもある。
いつしか「おうちステーキ」は月1回の恒例行事になっていた。
進化のスピード
でも月1回の恒例行事のためだけにReproを使うのはもったいなさ過ぎる。私は彼がいない間にReproを使ってさまざまな料理のレパートリーを増やしていった。完成されたレシピ通りに作れば、まず失敗はないから、いくらでも挑戦できる。
彼がいない時にしばしば開いている秘密の女子会にもReproは登場し、友人からも好評だ。なにしろ85℃キープで鍋パーティーをやれば「煮えすぎ」がないので、鍋奉行も消失、みんな何も気にせず飲み続けられる。
気がつけば、私はたいていの晩ごはんのおかずをReproで作れるようにまでなっていた。
「最近なんか料理の腕が上達したんじゃない?レパートリーも増えた気がするし…」
無邪気な彼は、私がすでに「達人の域」に達していることを知らない。
そして彼は今でもステーキしか焼けない。
今日この時も彼は得意げにステーキを焼いている。私は「すごいね」という表情をしてステーキを見つめる。
この時間はとても幸せだけど、さすが本能で生きる原始人。進化のスピードがちょっと遅いようだ…




